LOGIN暖かく眩しい日差しにあてられて、僕は目を覚ました。どうやら、いつの間にか眠っていたらしい。
寝ぼけ眼で室内を見回す。相沢さんの部屋だという事を思い出すのに、数秒ほどかかった。でも、肝心の彼の姿がない。
(どこに行ったんだろう……?)
疑問に思い、起き上がろうと寝返りを打つ。体がだるい。昨夜の記憶が、恥ずかしさとともに蘇る。でも、不思議と嫌なものではなかった。
「あんなに気持ちよかったのは、久しぶりかもな」
ぽつりと、本音が口から漏れた。
ベッドから出ようとして、布団の感触に苦笑する。確認するまでもなく、素っ裸だ。相沢さんに抱かれた後、そのまま眠ってしまったのだろう。一応の確認をすると、僕の体はきれいに清められていた。
(こういう事なのかな、あずさが言ってたのって)
ふと、一人の女性の姿が脳裏に浮かぶ。近藤あずさ。五年前に別れた元恋人だ。大学時代に知り合い、意気投合して付き合い始めた。交際自体は順調に続いていたけれど、彼女は少しずつ不満を溜めていたらしい。「貴方の気遣いのなさに呆れたの」という、別れ際の彼女の言葉が、耳の奥に蘇る。
僕としては、あずさを気遣っているつもりだった。でも、彼女としては、何か違うと感じていたのだろう。
僕は、小さくため息をついて服を着る。過去を思い出したところで、どうしようもできないのはわかっている。それでも、相沢さんの細やかな気遣いに触れると、自分の不甲斐なさを突きつけられる。僕は、もう一度ため息をついて、ベッドに腰かけた。
克服したと思っていたのに、まだ彼女のことを引きずっている。そんな自分が、本当に幸せになってもいいのだろうか。
暗い疑問が、僕の心に影を落としていると、部屋の扉が開いた。
「なんだ、起きてたのか。いつまで経っても来ないから、エロい事して起こそうと思ったのに」
と、相沢さんがいたずらっ子のような笑みを浮かべている。
「相沢さん……。おはようございます」
と、笑顔を向けるけれど、上手く笑えている自信がない。
「おはよう。どうしたの? そんなに落ち込んで」
心配そうに言いながら、相沢さんは僕の隣に腰を下ろした。
「あ、いえ……ちょっと、昔の事を思い出してしまって……」
僕は、苦笑しながら告げる。
「そっか。じゃあ、俺が忘れさせてあげる」
相沢さんはそう言うと、僕の頬に優しく触れた。
「え……?」
相沢さんの方へ顔を向けると、彼に口づけられた。強引でも、荒々しくもない、触れるだけの優しいキス。ただそれだけなのに、脳裏に浮かんでいたあずさの姿が、溶けるように消えていく。代わりに、温かい安心感が、胸の中に広がる。幸せになってもいいのだと、心の底から思えてくる。
どちらからともなく離れると、
「朝飯……いや、早めの昼飯って感じだけど、作ったからさ。一緒に食べようぜ」
と、相沢さんは爽やかな笑顔を見せた。
僕はうなずくと、彼と一緒に寝室を出る。
リビングに向かうと、テーブルには二人分の料理が並べられていた。
僕達は、当然のように対面で座る。この構図を自然に受け入れている自分がいて、思わず頬が緩む。
「どうしたの?」
相沢さんが、不思議そうに首をかしげる。
「いえ、何でもないです」
「えー? 教えてよ」
相沢さんにせがまれる。
でも、別に言うほどの事でもないから、僕は言わなかった。
「佳晴さん」
相沢さんは、表情を急に険しいものに変え、低い声で僕を呼んだ。
「――っ!」
ただ名前を呼ばれただけなのに、心臓が跳ねる。それどころか、テーブルの下で、下半身がびくりと脈打った。
「お、し、え、て?」
ねっとりとたずねる声音は、僕に拒否権はないと告げている。
僕は、火照った体を鎮めるように深呼吸をする。
「……この光景、なんか見慣れてきたなって思っただけですよ」
諦めたように告げると、相沢さんはきょとんとした表情を浮かべる。
「あれ? もしかして、言われた事なかったんですか?」
「あぁ……うん。何度か、ここに通した奴はいるけど、言われた事なかったな」
何だか新鮮だと、相沢さんがはにかむ。
夜のお相手には困っていなさそうだったから、てっきり、言われ慣れているのかと思っていた。
「えっと……そういえば、今日はポトフなんですね」
何だか急に気恥ずかしくなって、僕はやや強引に話題を変えた。
「まあね。昨日、ちょっと無理させちゃったかなって思ってさ」
と、申し訳なさそうな相沢さん。
(昨日の事、この人なりに気にしてたんだ……)
何だか相沢さんがかわいく思えてきて、自然に微笑んでいた。
「笑わなくたっていいだろ? これでも、がっついてた自覚はあるんだからな」
そう言いながら、相沢さんはむくれている。
「すみません。思ったよりも、貴方がかわいらしかったもので」
申し訳程度に謝罪して、僕はポトフに手をつけた。
具材はどれも柔らかく、優しい味わいで体に染みわたっていく。
「美味しい……」
吐息とともに、感想が口をついて出る。
「それはよかった。……うん、俺史上、一番いい出来かも」
なんて、相沢さんは一口食べてうなずいている。
「ポトフ、よく作るんですか?」
僕の問いに、彼はうなずいて、
「昔から好きでさ。簡単だから、季節関係なく作ってるんだ。真夏に、熱々のポトフも乙なものだぜ?」
と、笑顔を浮かべる。
「うーん……夏場なら、しょうがを乗せた冷や奴がいいですかね。さすがに、熱々のポトフはちょっと……」
「確かにそれもいいけど、冷たいものばかりじゃ、体が冷えちまうよ。冷えは、夏バテの原因になりやすいんだから」
なんて、真面目な顔の相沢さんに叱られてしまった。
軽薄そうに見えていたけれど、その実、きちんと考えているのかもしれない。
(……今年の夏は、ちょっと温かい食べ物、増やしてみようかな)
ふと、そんな事を考える。
「それはそうと、佳晴さんって、俺に対してずっと敬語だよね? どうして?」
箸を置いて、相沢さんがたずねてくる。
「どうしてって……出会った時の僕達の関係が、店員と客だったからですけど」
「それだけ?」
きょとんとする相沢さんに、僕はそれだけだとうなずいた。
「え、マジでそれだけ? 俺より年下だからとか、遠慮してるからとか、そういう理由はないの?」
「ないですよ。そもそも、僕、初対面の人にタメ口なんて使えないですし。その延長です。まさか、バーの店員さんに二夜連続で抱かれるなんて、想像すらしてませんでしたけどね」
僕は、そう言ってポトフを食べる。優しい味わいが、体に灯ったどろりとした炎を完全に鎮めてくれた。
それはそうかとつぶやいた相沢さんは、ふと、何かを思案するように顎に手を当てる。
「なあ、佳晴さん。もし、あんたが嫌じゃなかったら……タメ口で話してもらえないかな?」
相沢さんは、少し躊躇いがちに告げた。それまで、強引さが服を着て歩いているような感じだったのに。
「どうして?」
僕は、思考停止で問いかけた。
そんな事は、少し考えればわかりそうな事だ。敬語のせいで、壁があるように感じる。二夜連続で肌を重ねているのだから、口調ももう少し砕けてもいいのではないか。おそらく、そんなところだろう。でも、僕は、そこまで考えられなかった。彼との関係はここまでだと、暗に区切りをつけていたのかもしれない。
「そんなの、佳晴さんともっと仲良くなりたいからに決まってるじゃん。言ったでしょ? あんたは、俺の好きなタイプだって。幸せになれる方法を教えてあげるって」
「でもそれって、昨夜だけの話じゃ……?」
訝しげにたずねると、彼の瞳から音もなく光が消えた。
「そんな訳ないじゃん。まさか、逃げられるとでも思ってる? 逃がさねえよ」
と、妖しく笑って舌なめずりをする。
その仕草に、下半身が疼き、鎮まったはずの炎がまた灯される。
(嘘だろ? 欲求不満は、解消されたんじゃなかったのか!?)
早鐘を打つ鼓動と呪いが解けていなかった事実に、僕は浅い呼吸を繰り返す。
一種の対処療法だと思っていた。なのに、彼の妖艶な瞳に、ちらりと見える舌先に、絡みつくような声音に、欲情している自分がいる。どうしようもなく、本能的な部分で彼を求めてしまっている。
「……相沢さん」
彼の色香に耐えながら名を呼ぶと、
「竜希」
ピシャリと訂正された。
「名字じゃなくて、名前で呼んでよ」
先ほどまでの妖艶さはどこへやら、爽やかな笑顔で彼は要求した。
(……本当に、ころころと表情が変わるよな)
動揺しながら、僕はそんな感想を抱いた。勝手に昂る本能を押さえ込むように、拳を強く握りしめる。
おそらく、相沢さんにも伝わってしまっているのだろう。先ほどから意味深な笑顔を浮かべている。
「すみません。それは、まだ……」
僕は、相沢さんから視線をはずして告げた。
(名前呼びなんて、特別な関係でもないのに……)
心臓が痛いくらいに、鼓動が速い。
「そっか……。じゃあ、しかたないな。でもさ、タメ口にするのは、わりと簡単じゃない?」
諦めたかと思いきや、彼は食い下がってくる。
「まあ、それくらいなら……」
少しずつだけれどと、僕はうなずいた。
「やったぜ! じゃあ、これからは、敬語なしだからな!」
と、相沢さんは子供みたいにはしゃいでいる。
そこまで喜ばれてしまったら、嫌だとは言えない。
それから、僕達はポトフを食べながら、お互いのことについて話した。年齢、好きなものや嫌いなもの、趣味など、当たり障りのない会話が続く。
「……ねえ。佳晴さんってさ、どんな体位が好きなの?」
何でもない事のようにたずねられて、僕は食後のお茶を吹き出しそうになってしまった。
「……あ、ぶなかった……。急に、何?」
「いや、ふと気になってね。正常位、騎乗位、バック……いろいろあるじゃん?」
にやりと、相沢さんが妖しげに口角を上げる。
「まあ、いろいろあるけど……。女性相手だったら、正常位……かな? でも、男性相手だと、よくわからなくて……」
思案しながら、僕は正直に告げる。
「そういえば、男相手は、俺が初めてなんだっけ?」
相沢さんの問いに、僕は無言でうなずいた。
抱かれる側になるのは初めてだったから、とてつもなく気持ちがいいだなんて知らなかった。だから、どんな体位が好きなのかなんてわからない。
「じゃあ、それも含めて、いろいろ試していこうか」
優しく提案する相沢さんは、爽やかなのにどこか危険な雰囲気がある。僕が拒否した瞬間に、牙を剥きそうだ。
「……明日、仕事だから」
この後の情事は避けたいと、暗に告げた。
「ふーん、そっか。それじゃあ……」
含みのある笑みを浮かべると、相沢さんは僕の隣に移動する。
「な、何……?」
警戒するようにたずねると、
「セックスしなければ、いいんだよね?」
相沢さんはそう言うと、僕の答えを待たずに僕の太ももをさわさわとなで回し始めた。
「え、ちょっ……!? ひっ……! ゃ、やめ……」
相沢さんの触れ方が絶妙で、僕の肌がぞわぞわと波打つ。
「えー? 普通に触ってるだけじゃん」
「ち、ちがっ……! こんなの、んっ! 普通の……触り方じゃ、ない……!」
彼を止めようとするけれど、快楽のせいで手に力が入らない。息が上がり、言葉に吐息が混ざってしまう。
「もう一回、聞くよ? セックスしなければ、いいんだよね?」
耳もとでささやかれ、僕は思わずうなずいてしまった。
「じゃあ、続けてもいいよな?」
たずねるように、相沢さんが宣言する。
返事の代わりに、僕は上目遣いで彼を睨んだ。
「したくなったら、言って。優しく抱いてあげる」
言いながら、彼の手は止まらない。
僕は小さくうなずいて、ただ与えられる緩い悦楽に耐えるだけだった。
「声、出してもいいんだぜ?」
煽るように言って、彼は僕の服の中に手を伸ばしてくる。
「ひゃっ……! ふっ……ん……ぁ……っ! く……」
背中に直に触れられ、甘い声が漏れ出てしまう。
「ふふ、我慢できてないぜ? それとも、そうやって俺を煽ってる?」
「そんな、こと……ふ、ぁ……な、い……」
喘ぎながらも、僕は否定する。意図的に、彼を煽るなんて芸当、今の僕にできるはずがない。
「じゃあ、気持ちいいんだ? でもさ、もっと気持ちいい事、したくない?」
相沢さんが、耳もとで甘くささやく。
僕は、必死に首を横に振って抵抗する。
「少しは、乗ってくれるかと思ったんだけどな」
残念そうに言うと、相沢さんは、背中から手を離し、僕の手をふにふにと触り始めた。
「さすがに……連日は、キツイよ」
「じゃあ、もっと気持ちいい事は、次の土曜日の夜に。ね?」
と、相沢さんが僕の手の甲にキスを落とす。
彼の仕草と手に触れる感触に、僕は反射的にうなずいていた。
次の土曜日に、あの快楽がまた味わえる。そう思うと、僕の体は勝手に敏感になり、腹の奥がきゅうっと疼いた。
「……さん」誰かの声が聞こえる。聞き覚えのある甘い声。でも、どこか焦っているような感じがする。「佳晴さん!」はっきりと聞こえ、まぶたを開ける。視界に映るのは、今にも泣き出しそうな竜希の顔だった。「竜希……?」「よかったぁ。起きなかったらどうしようって、心配したんだから」ほっとしたよう声で言いながら、竜希は僕を抱きしめる。「あー……ごめん」まだぼんやりしている脳裏に、昨夜の事が一気に思い出された。「いや、俺の方こそ、ごめん。嫉妬して酷い事言っちまったし、強引すぎた」深く頭を下げる竜希。そんな彼を引き寄せて、額に軽いキスをした。「佳晴さん……?」「竜希が悪いわけじゃないよ。僕が、素直に言っていればよかっただけだから。それと、強引にされるのもいいかなって」「興奮した?」「うん、興奮した」「佳晴さんのすけべ」「竜希には負けるよ」言い合って、僕達は同時に笑い出した。こんなちょっとしたやり取りが、とても愛おしく感じる。「ねえ、竜希。まだ、時間あるよね?」「まあ、昼の十二時になったばっかだからな」と、竜希はスマホで時間を確認する。「じゃあさ、少しだけ……いいかな?」「んー? もう少し寝たいの?」と、竜希はいたずらっぽくたずねる。「もう、わかってるくせに。少しだけ……エッチしたい」「よく言えました。いいぜ、少しだけな」そう言って、竜希は僕に口づける。いつも通り濃厚なキスは、昨夜のような激しさはない。代わりに、ねっとりと口内を舐め回される。舌も吸われ、絡められ、愛撫される。「ん゛んっ……! んぅ&h
「……まだ仕事は終わってない、か」スマホで時刻を確認して、僕はため息をついた。篝火から帰宅して、シャワーを浴びたにもかかわらず、体内のどろりとした熱は燻ったままだ。いつも通り彼の部屋――寝室で、彼の帰りを待つ。「竜希……」熱に浮かされたように彼を呼ぶけれど、返事はもちろんなく、静かな部屋に消えていった。深く息をつき、スマホに視線を落とす。気を紛らわそうとSNSを眺めるけれど、内容が頭に入ってこない。脳内に浮かぶのは、竜希の顔で。「……竜希に依存してるなぁ」ため息とともにつぶやいて、ベッドに体を預ける。こんなに誰かを想っているなんて、本当に久しぶりだ。もしかしたら、初めてかもしれない。それほどまでに、僕は竜希を求めていた。体だけでなく、心も作り替えられてしまった。もちろん、嫌ではない。嫌ではないのだけれど……。(竜希……)彼の幻影を追い求めて、手が自然と下半身に伸びていく。「……っ!」スラックス越しに自身に触れ、すでに硬く反り勃っているのを自覚した。竜希がどう触れていたのかを思い出しながら、ゆっくりとさする。ぞわぞわと、甘い痺れが肌を駆け上がってくる。でも、何か物足りない。(……やっぱり、竜希じゃないとだめなのか?)もどかしさに追い立てられるように、直に自身に触れた。「あっ……!」びくりと体が震え、電撃のような刺激が走った。手は止まらず、息は上がる。次第に、頭がぼうっとしてくる。「人のベッドで、何してんの?」突然、竜希の声が聞こえて、僕は弾かれたように視線を向けた。扉の前には、いつの間に帰って来たのか、竜希が腕を組んで立っている。「あ、えっと&hel
翌日から、僕は篝火通いを再開した。扉を開くと、マスターと理沙さんが以前と変わらずに出迎えてくれた。もちろん、竜希も。いつもの席でチャイナブルーをオーダーすると、竜希がそつなくカクテルを作る。その姿が本当にかっこよくて、思わず見惚れてしまった。「お待たせいたしました」声とともに、鮮やかな青色のカクテルが僕の目の前に置かれた。「ありがとう。それにしても、たつ……相沢さんは、本当に手際がいいですよね」竜希と言いかけて、慌てて言い直した。「ありがとうございます。一応、これで生活してますので。それより、今、名前で呼ぼうとしたでしょ?」と、喉の奥で笑う竜希。「しかたないだろ? まだ、切り替えに慣れてないんだよ」声を抑えて抗議する。「でも、一線を画したいって言ったのは、佳晴さんですよ?」「それは、そうだけど……。なんか、ずるいよな。貴方は、どっちの時でも変わらないんだから」「俺は、こういうスタンスでやらせてもらってますので」ドヤ顔で宣う竜希に、少しだけ負けた気分になる。(でも、竜希が僕に沼ってるのは、事実だもんね)と、僕は密かにほくそ笑む。「佳晴さん? どうかしました?」小首をかしげる竜希に何でもないと言って、グラスを傾ける。爽やかな香りが、秘密を分け合う共犯者のように感じた。何か話したそうな竜希だったけれど、他の客からのご指名が入った。相沢相談所は、今日も盛況のようだ。竜希の背中を見送っていると、「お久しぶりですね」低く静かな声が聞こえた。振り向くと、いつの間にかカウンター越しにマスターがいた。「本当にご無沙汰してしまって……。その節は、お世話になりました」テーブルにつきそうなほど、深く頭を下げる。「いえ、私は何も。また、お客様がこうして来てくださった。それだけでは
「うん、美味い」と、竜希は満面の笑みで言った。ほっとして、僕もカレーを食べ始める。僕史上、最高の出来に仕上がっていて、思わずにんまりした。「自分で作るより、確実に美味いわ」竜希が、大絶賛で頬張っている。「褒められるのはうれしいけど、普通に作っただけだよ?」「謙遜すんなって。マジで美味いんだから。でもさ、じゃがいも、入れてないんだな」「ああ、うん。そういえば、今までじゃがいもを入れた事なかったかも」指摘されて、無意識にじゃがいもを避けていた事に気がついた。幼い頃から、カレーにじゃがいもが入っていないことが当たり前だったからだろう。「竜希は、じゃがいも入れる派なんだ?」「あー……気分によるけど、基本的には入れるかな」思案しながら、竜希が答える。「でも、入れない方が好きかも。このくらいの辛さが、ちょうどいいんだよね」「よかった。多めに作ったから、ルウだけでよければ、おかわりしても大丈夫だよ」僕が言うと、竜希は瞳を輝かせてうなずいた。「それにしても、佳晴さんって料理上手なんだな」「自炊するから、それなりにはね」「カレー以外も食いたいなー」期待するようなまなざしを向けられ、僕は「そのうちな」とはにかむ。まさか、こんなに好評だとは思っていなかった。今までは、自分の好きなように適当に作っていたけれど、今度からは竜希のためにも、もう少しきちんと作ろうと思った。「でも、本当に僕なんかが作る料理でいいの?」ふと、よぎった不安を口走る。「……なよ」それまでもりもりとカレーを食べていた竜希は、手を止めると沈んだ声でつぶやいた。「え……?」よく聞こえず、僕は少し身を乗り出すように聞き返した。「『僕なんか』なんて言うなよ。悲しくなるだろ。他の誰でもない、俺が、あんたの手料理を食いたいの!」
まどろみの中で、僕は眩しさを感じた。ゆっくりとまぶたを開けると、カーテンの隙間から爽やかな朝の光が差し込んでいる。起き上がろうとして、胸の上の重みに気がついた。隣を見ると、竜希が僕を抱き枕にしていた。(そういえば、竜希の部屋に泊まったんだっけ)と、気持ちよさそうな竜希の寝顔を見つめる。「ん……よしはるさん……」「ふふっ。どんな夢を見てるんだか」微笑みながら小さくつぶやいて、彼を起こさないようにそっとベッドから抜け出す。極力、物音を立てないように気をつけながら、着替えを済ませる。「ふぁ……あれ? もう、あさ……?」寝ぼけたような竜希の声が聞こえた。「おはよう、竜希。僕はそろそろ起きるけど、竜希はまだ寝てていいよ」言いながら、僕はベッドに近づいた。竜希の額に、軽くキスを落とす。「ん……冷蔵庫にサンドイッチが入ってるから、食べていいよ」竜希はくすぐったそうに目を細めると、ぽやっとした笑みを浮かべて言った。「サンドイッチ? もしかして、昨日の夜、先に寝てていいって言ってたのって――」僕が小首をかしげると、彼は軽くうなずいた。「朝から飯作るのって、面倒だったりするじゃん? 佳晴さんには、ゆっくり寝ててほしかったから」そう言って、竜希はもう一度あくびをする。「ありがとう、遠慮なくいただくよ」「うん。いってらっしゃい、おやすみぃ……」そう言うと、竜希はまぶたを閉じてすぐに寝入った。僕は小声でおやすみを告げると、愛おしい彼の頭を優しくなでて部屋から出た。「冷蔵庫は、と……」つぶやきながらキッチンをのぞくと、すぐ近くに黒い冷蔵庫が鎮座していた。扉を開くと、棚の中央にサンドイッチの皿があった。それとコーヒー牛乳のパックを取り出
「美味そう……」つぶやくと同時に、僕の腹が鳴った。「冷めないうちに食おうぜ」待ちきれないとばかりに、竜希がうながす。僕は何食わぬ顔でうなずいて、食卓についた。幸い、僕の腹の音は、彼には聞こえていなかったようだ。二人分のミートソースパスタとコーンスープからは、美味しそうな湯気が立っている。僕達はいただきますと言って、早速、食事に手をつけた。コーンスープのコクと甘味が、食べ応えのあるパスタにちょうどいい。「うん、美味い。さすがだね。短時間で、二品も仕上げるんだから」「サンキュー。でも、コーンスープは、市販のやつだよ。あの短時間で、パスタ作りつつ、ここまでなめらかにするのは、さすがに無理だって」と、謙遜する竜希。それでも、僕からしてみれば、すごい事には違いない。もし、同じ状況で僕が作ったら、二倍とはいかないまでも時間がかかると思う。「ごめん、佳晴さん」突然、竜希が頭を下げた。「え? いきなり、何?」理由がわからなくて、僕は小首をかしげた。「いや……明日、佳晴さん仕事だろ? なのに、無理させちまったから……」うなだれる竜希の姿は、どこかしょんぼりとした大型犬を彷彿とさせる。それが、何だかかわいらしいと思った。「ちょっとだるいけど、大丈夫だよ」だから謝らなくていいと言い置いて、僕はパスタを頬張った。「じゃあ、せめて、佳晴さんの家の場所を教えてよ」送らせてほしいと、彼は真摯に告げる。「……あれ? 言ってなかったっけ? 僕の自宅、このアパートの一階にあるんだ」「……へ?」素っ頓狂な声を上げ、竜希が目を丸くする。「なんか、ごめん」僕が謝ると、竜希は脱力したように微笑んだ。「いや……それなら、遅くなっても大丈夫だよな?」「え、いや、でも……明日、仕事だし……」「えー? いいじゃん。もう少し、佳晴さんと一緒にいたいんだって」
「――今日は、ありがとうございました」カフェを出てすぐに、僕は理沙さんに礼を言った。彼女に話したことで、心が軽くなった気がする。「どういたしまして。もし、また何かあったら言ってください。相談に乗りますので」と、彼女はにこやかに言った。僕は笑顔でうなずいた。友人はある程度いるけれど、この手の話はできないから、本当にありがたい。彼女と別れ、僕は真っ直ぐ帰宅した。日時が決まったら連絡するという彼女の言葉に、胸が躍る。「……そんなに会いたいな
カフェに到着した僕達は、店内の奥にある席を選んだ。周囲に他の客の姿はなく、相談事をするにはうってつけだった。とはいえ、本当に彼女に相沢さんとの事を話してしまっていいのかどうか、今更ながらに悩んでしまう。注文を取りに来た店員に、理沙さんは紅茶とイチゴのパフェを、僕はコーヒーをそれぞれ注文する。「……それで、相馬さんは、何を悩んでるんです?」店員の気配がなくなってから、理沙さんがたずねた。「それは……」口ごもる僕に、理沙さんは肩をすくめて、「まあ大方、相沢先輩との事なんだろうけど」
よそよそしい彼の作り笑いが、仕事中も脳裏にこびりついて離れない。忘れようとして、ジムで汗を流す。けれど、彼の低く甘い声が、耳の奥にこだまして、忘れさせてくれない。自宅に帰ってからも、彼の幻影は消えてはくれなかった。『佳晴さん』ふいに、彼の甘えるような声音が蘇る。「……っ!」劣情を抱えた僕は、窄まりにも手を伸ばす。彼の手つきを再現するように動かすけれど、どこか物足りない。「相沢、さんっ……!」僕は、少し強引に欲望を吐き出す。すっきりしたはず
翌日。体のだるさを引きずりながら、僕は目が覚めた。窓からは、相変わらず暖かな日差しが差し込んでいる。ふと横を見ると、相沢さんがかすかな寝息を立てている。(……きれいだよな)彼の寝顔を見ながら、僕はそんな事を思った。穏やかな寝顔を見ていると、昨夜の激しさが嘘のようだ。僕は、何の気なしに彼の髪をなでる。さらりとした質感がとても心地よくて、ずっと触っていたくなる。「ん……よしはる、さん……?」ぽやっと